宇多田ヒカル 「あなた」について
久々の日記ですが、書きたいことを書き散らす日記なので、今猛烈に思うことを書きます。
宇多田ヒカル「あなた」という曲。
あなたのいない世界じゃ
どんな願いも叶わないから
燃え盛る業火の谷間が待ってようと
守りたいのはあなた
最初のところが聞き取れただけで、「ああ、お母さんの歌だ。」とわかりました。
「宇多田ヒカルはお母さんになったんだなぁ・・・」って。
歌も小説も、表現者を離れた瞬間からその解釈は受け手に委ねられるものだと思っていますが、これはもう疑いようもなく、母の愛というものを歌った歌です。私にとっては。
この曲の初めから最後に渡って。
一言一句に至るまで、一文字も漏らさず共感できるからです。
そして、燃え盛る業火の谷間だとか、そんな物騒なものまで持ち出して誓う愛を歌っているのにもかかわらず、穏やかで優しいメロディ。
母の愛そのままじゃないか。
私が子どもに対して抱く気持ちも、まさにこれ。
恋愛の愛はこんなんじゃない。
燃え上がっている、恋の初めの頃は確かに激しく狂おしい面もあるかもしれないけど、この曲の持つ静かで力強い愛は、激しい恋心とは共存しない。
母親って本当に恐ろしい生き物なんだ。
この身を引き裂かれてもあなたを守る。
業火で焼き尽くされようとあなたを守る。
いつ聞かれても穏やかにそう即答できるくらい、いつも覚悟ができているんです。
代り映えしない明日をください
そして望むものは、何事もなく、平和で安寧な一日。
今日を無事に乗り切り、事故も病気もなく生きていてくれるだけでいい。
どの母親もそうして毎日を過ごしているんじゃないかなぁ。
本当に、「子どもに対して思う気持ちを、素直にそのまま歌にしてみよう」と思ったんじゃないかなぁ。
あまりにそのままで、どうして私の気持ちがわかるの?ってくらい共感できる。
宇多田さんも、自分はどうしてこんなにも「母」になったかなぁ、自分にもちゃんとこういう機能が備わっていたんだなぁって不思議に思ったと思う。
そして同時に、自分の母親のことについてもいろんな発見をしたと思う。
これは私の個人的な考えだけど、妊娠〜出産〜育児をしていく中で、女性は自分の子ども時代を追体験する。
そして、母親にもっとこうして欲しかったとか、こんな風に言って欲しかったとか、あのクソババア母親のくせにあんなこと言いやがってとか(笑)、あんな酷いことされたわ信じられないとか、次々と思い出してはイライラしたり悲しくなったりするのです。
今まで話した人たちの中で多くの女性が同じ経験をしていて、これはやっぱり自分の体験の中からよりよい育児を子どもに与えるために、わざとそうなってるんだと思うんだけど。
そして同時に、ああ母は私のことを本当に深く愛していたんだなぁということも実感するのです。
わけもなく我が子が愛おしいのと同じく、母もわけもなく私を愛していたんだなぁと、しみじみとかみしめるのです。
あんなにも母に愛して欲しい、認めて欲しいと望んでいたのに、そうか、愛してくれていたんだなぁ・・・と気づくのです。
(いや、普通に愛情深い母ですし、感謝もしてますけどね。)
その上で、一人の人間としての母親の、強さだったり弱さだったりに気づく。
もっとこういう言葉をかけてあげればよかったとか、お母さんも寂しかったのかとかつらかったのかとか、個人としての母親に気づいてくるんですよね。
まぁ、この「あなた」については、最初から最後まで母親の目線で書かれた歌だと感じます。
一日の終わりに撫で下ろす
この胸を頼りにしてる人がいる
くよくよなんてしてる場合じゃない
今日を無事に過ごせただけでホッとする。
あー今日もなんとか乗り切ったー
本当に小さい子との生活ってそんな感じ。
ママだって人間だもん、悲しいことやつらいこともある。
でもくよくよしてられない、私母親なんだから、と自分を奮い立たせてまた明日を迎える、そんな一人の人間としての母親の姿が見えます。
母は強しというけれど、なんもせんと強いんじゃなくて、頑張ってるんです。
自分を奮い立たせて、強くいるんです。
だって母親だもん!
私は宇多田ヒカルさんの一歳だけ年下で、子どもを産んだのもほとんど同じ。
私が好きなアーティストや作家、漫画家、映画監督や著名人はたくさんいますが、この人と同じ時代に生まれてよかったと思う人は、実は夫と宇多田ヒカルさんだけです。
同じ時代に生まれて、同じ空気を吸って、同じ言語を使って、そして生み出される楽曲やその世界観を味わえて本当によかった。
宝くじにあたるよりずっと稀な偶然に感謝してやまない。
それを再確認した曲が「あなた」でした!